歌番組で数々のカバーソングを披露し、完成度の高さと実力で存在を知らしめている島津亜矢さん。
何を歌わせても上手いことはもちろん、しっかり自分の色に染めてしまう実力は歌怪獣と呼ばれ、一瞬にして引き込まれること間違いなしです。
数々の音楽番組でカバーソングを披露していますが、そのたびに「上手すぎる!」「歌えない歌とかあるの!?」などネットで話題になっています。
今回は、その実力から歌怪獣とも呼ばれる島津亜矢さんについて調べてみました。
歌が上手いのはいつからなのか?
島津亜矢さんが持つ伝説についてもお伝えします。
もう本当にかっこいい…!ぜひ聴いてほしい。圧倒されて泣けます。
島津亜矢について
圧倒的歌唱力から『歌怪獣』の異名を持つ、島津亜矢さん。
2015年の第66回NHK紅白歌合戦で島津亜矢さんの歌唱に感動した俳優としても活躍するマキタスポーツさんが、翌年2016年1月ニッポン放送のラジオ「大谷ノブ彦 キキマス!」出演の際に『歌怪獣』と称し、絶賛したことが始まりだと言われています。
いくつもの番組で人気曲のカバーソングを披露している島津亜矢さん。
本番ギリギリまで練習を繰り返して緊張もすごいと話しますが、実際に歌っている姿は本当に楽しそうで軽々と歌っているように見えるんですよね。
実力あればこその技なのだろうと何度見ても感動を与えてくれます。
2021年に放送された『声楽家が選んだ「本当に歌がうまいと思う日本人歌手」ベスト50』では、MISIAさんや玉置浩二さんに続いて第3位に選ばれています。
また、同番組で一流声楽家とのコラボ「夜に駆ける」を熱唱して話題となりました。
選ばれるだけでもすごいのに、迫力も負けてないなんて…
私も歌を聴いて泣きました。歌の力ってすごいですね。
歌声を披露するたびに話題となる島津亜矢さんのプロフィールや経歴を見ていきましょう。
プロフィール
名前:島津亜矢子(しまづ あやこ)
生年月日:1971年3月28日(52歳)
出身地:熊本県鹿本郡植木町(現熊本市北区)
ジャンル:演歌
職業:演歌歌手
活動期間:1986年~
レーベル:テイチクエンタテインメント
事務所:オフィス風
経歴
・1985年:14歳で作詞家、星野哲郎に弟子入り。
・1986年:星野哲郎作詞『袴をはいた渡り鳥』でデビュー
・1987年:坂本冬美、石上久美子と「はつらつ3人娘」を結成
・1990年代:NTTドコモと提携し「ドコモ音頭」を歌い、一部の関係者のみに配布された
・1991年:『愛染かつらをもう一度』が30万枚を超えてヒット
CD / 島津亜矢 / 愛染かつらをもう一度/流れて津軽/富士 (歌詞付) / TECA-1210・1994年~1998年:ラジオ番組「歌うヘッドライト」のパーソナリティーを務める
・2001年:「感謝状・母へのメッセージ」で第52回NHK紅白歌合戦に初出場
島津亜矢 / 定番ベスト シングル::感謝状〜母へのメッセージ〜/帰らんちゃよか/夜桜挽花 [CD]・2015年:「帰らんちゃよか」で14年ぶりに第66回紅白歌合戦へ復帰、以降4年連続出場
帰らんちゃよか/娘に… [ 島津亜矢 ]最近は演歌を歌わないコンサートも開催するなど活動の幅を広げており、POPSや洋楽をカバーした『SINGER』シリーズも好評を得ています。
2021年にはカバーアルバム「SINGER7」がオリコン週間アルバムランキングで7位になるなど、自身初のTop10入りも果たしました。
「歌怪獣」という呼び名を島津亜矢さん自身も気に入っており、マキタスポーツさんと共演した際に感謝の気持ちを伝えたそうですよ。
名前のインパクトとしても十分で一度聞くと「どういうことなんだろう!?」って気になっちゃいますよね。
とても上手いネーミングだなと思います。
島津亜矢伝説
芸能界にも島津亜矢さんのファンだと公言する人が多く、その圧倒的歌唱力は聴く人の胸を打ち、力をもらえると評価の高いコンサートは超満員。
女性演歌歌手観客動員数でも第1位を獲得しています。
0歳・胎教が演歌
「演歌が歌える子になってほしい」と願っていた母・久美子さんは、島津亜矢さんがお腹にいるときから演歌を聞かせており、実際に生まれてきたときの泣き声を聞いて「歌えるに違いない」と直感があったそうです。
3歳・見出された才能
保育園での「チューリップ」の合唱で、周りが子どもらしく年相応に歌うなかでひとりだけこぶしを効かせる歌声を披露したのが始まりでした。
それを聞いた母の薦めもあり、のど自慢に出るようになりました。
3歳~6歳までの3年間の間に参加した「ちびっこのど自慢大会」では100回以上の優勝。
これ以上は…とまさかの出場禁止を申し渡されることになるのです。
優勝100回以上で、出場禁止で…凄すぎて混乱しちゃう。
「天才少女」だと言われていたそうですよ。
7歳・地元テレビ局でコーナーを持つ
まさかの出禁となってしまった「ちびっこのど自慢大会」ですが、たまたまその現場に居合わせた熊本のテレビ局の方から「私の番組で勉強するといいよ」と声をかけられました。
そして、わずか7歳(小2)の女の子が15分の歌唱コーナーを持つという驚きの展開に繋がったのです。
心を掴む歌声はこの頃から発揮されていたんですね。
11歳・日本ちびっこ歌謡大賞・日本一
子ども達が日本一を争う『第3回日本ちびっこ歌謡大賞』にて、11歳(小6)でトリを任された島津亜矢子さんは、熊本県代表として『ごめんよ/山本譲二』の曲を披露し、見事日本一の座を手にします。
13歳、14歳・大手レコード会社からスカウトを受け、故郷を離れる
11歳での日本一となった際にテイチクレコードからのスカウトを受け、わずか14歳という若さで故郷を離れる決断をします。
そして、デビューに繋がる作詞家・星野哲郎さんへの弟子入りとなったのでした。
14歳…!すごい決断!
15歳・念願のデビュー
弟子入りをしてわずか1年後に、星野哲郎さん作詞「袴をはいた渡り鳥」でデビューを飾ります。
その際に本名である島津亜矢子から、芸名となる島津亜矢へと名を変えることになりました。
師匠である星野哲郎さんが、呼びやすさや親しみやすさで考えられたそうです。
演歌枠を飛び出し、人生を変えた1曲
演歌界でその実力を知らない人はいないと言われている中で出演したNHKの歌番組にて『I Will Always Love You/ホイットニー・ヒューストン』を披露し、その名が世に知れ渡ることになりました。
英語の歌を…と自信がなかなか持てない中で挑戦することを決めた島津亜矢さんでしたが、生放送で披露されたその歌唱が話題となったことからその後数多くの歌番組に呼ばれ、カバーソングを多く歌うという現在の流れに繋がったのでした。
NHKでは生放送というとてつもない緊張感の中で実力を見せつけた島津亜矢さん。痺れますね。
これからも1曲1曲と向き合い 島津亜矢色に染めていく
歌番組でたびたび披露するカバーソングでネットが盛り上がり、聴く人の心をしっかり掴んで離さない島津亜矢さん。
毎回難易度の高い曲に挑戦しては、その確かな歌唱力、表現力で自分色に染め上げていますよね。
演歌界でもその実力は折り紙付きで、同じ芸能界でもファンを公言する方が多く存在しています。
「歌怪獣」という異名も、その歌声に感動したマキタスポーツさんから絶賛され、付けられたものだと分かりました。
迫力があり、聴いている側がすっきりするほど気持ちいのいい声量はまさに!と思ってしまいます。
これからも演歌界はもちろん、たくさんのカバーソングを島津亜矢色に染めながら多くの人々の心を掴んでいくんだろうと思います。
私もファンとしてこれからのその歌声を楽しみながら応援していきます。
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